What I have seen...in 1990

バレット・ターゲ 5月12日(土)−5月20日(日)

5月12日 (土) 夢見る人*
愛、死、夢
5月13日(日) ロミオとジュリエット 5月14日(月) オテロ(オセロ)
5月15日(火) ゲスト・カンパニー** 5月16日(水) ゲスト・カンパニー**
5月17日(木) ペール・ギュント
5月18日(金) 夢見る人*
愛、死、夢
5月19日(土) 子供の不思議な角笛
マーラーの第四交響曲
5月20日(日) 第16回ニジンスキー・ガラ

* ユニコーン、トリスタン、ドン・キホーテ
** HET国立バレエ、アムステルダム

左はこの年のイヤーブックのカヴァーです。この年バレエ団・バレエ学校の建物が完成して、建物の中庭での記念写真がカヴァーとなりました。中央の円柱の部分は階段で向かって左側が大きいリハーサル室、右側にも練習室はありますが事務室、学生寮、ダンサーの部屋、食堂などがあります。
ガラの時にノイマイヤーは、この建物にお金がかかって、今年のバレット・ターゲにお金をかけることができなかった、といってみんなの笑いをとっていました(と思います)。

この年のニジンスキー・ガラのことはあまり覚えていないなあ、とプログラムをめくって見ると、ノイマイヤーの作品が少ないこと! 第1部だけ。私の隣に座った妙齢の婦人がデレヴィアンコに盛んにブラヴォーと拍手を送っていました。

この年は、ペール・ギュントを見たくてハンブルクに行ったわけですが、ペール・ギュントも良かったのですが、夢見る人の中のユニコーン(Einhorn)がとても心に残っています。

初めてハンブルクを訪問したのは1987年でしたが、そのときはチケットの予約の方法もわからなかったので、ソールド・アウトでガラのチケットをとることができませんでした(そのときはゲスト・カンパニーの20世紀バレエ団の公演を観ることができました)。

やっとこの年、ペール・ギュントからガラまでのチケットを郵送の手紙で予約できました(我が家にはまだファックスもなかったのです)。

モスクワ経由のルフトハンザ機はすでに成田で数時間遅れ、またフランクフルトで遅れること数時間、ハンブルクに着いたのは深夜12時を回っていました。飛行機の中ではみんなのんびりしているように思えたのですが、一歩外にでたら、タクシーのほうに走ること走ること。

この日は1日だけクラウン・プラザを予約していたのですが、深夜に着いたため快適なホテルも寝るだけという始末。残念。翌日は朝早く、といっても10時くらいだったかな、駅のインフォメーションに行って、オーパーに近いリーズナブルなホテルを紹介してもらいました。それがお役立ち情報に紹介したホテル・アムステルダムです。後日、私の友人が、まったくの偶然ですが、同じ建物の違うフロアのホテルに泊まったことがあります。ハンブルク大学の近くですからね。
(S)